意図したコミュニケーションと本当の願いって?
3年間かけてキャリア学習やそれにまつわる研修などなど、
何個も作ってきました。
その経験から思うことがふと浮かんできたので、
今日はちょっと出したいなと。
それは、
『意図したコミュニケーションから始めることは
慎重になる必要があるのではないか。」
と・・・・
キャリア学習や研修、部下との面談や対話などなど、1対複数や1対1でのコミュニケーションを通して、様々なコンテンツを作り、頭をめっちゃ使って、
意図を持ってやってきた結果こんなことが問いとして生まれたわけです。
なにかをinputする研修というよりも、
自分なりに問いに対して答えを見つけていくだったり、
自己内省や自己分析をしていくためのコミュニケーションにおいての話として理解してください。
そして特に、上司と部下といった「上下関係」に言えることだと思います。
文章書きつつ落とし所がまだふわっとしていますが、
一旦出します。
コメントがほしいですね。
▼意図が伝わり脅迫になる?
意図を持つこと。
それは、なにか相手に自分自身の求めが生まれている。
「こういう風に考えてほしい。」「こういう風にしていってほしい。」という思いから
相手には意図が伝わらないように努力しながら、
意図を持ってコミュニケーションを進めてしまう。
しかし残念ながら、相手にその意図が伝わってしまうことが多い。
その意図は、現代の「周りの期待に答えること」が正義とされる世の中において、
「意図に従わなければいけない」という脅迫観念に近いものをどうしても生んでしまう。
そして相手は、自分の気持ちに反してどこか納得できないまま、
納得している気がして、無自覚に自分の感情を曲げて演じてしまう。
▼本当は脅迫なんてしたくはない。
だが、多くの意図を持ってしまった人は、
「相手の意志で最後は決めてほしい」と思っていると思う。
だから本当は、意図せず起こってしまった強迫観念を起こしたくはない。
そう思っていることが多い。
ではどうしたらいいのか・・・・
うまくいく方法は、今の自分には正直言い切れない。
だが、これは大事なのではないか?ということはある。
▼「意図=願い」を自覚する。
「意図を持ちたい!持っている!という気持ちと思考は否定すべきことではない」
と思う。
だが「自分が求める相手になるように」と、
意図を持ってコミュニケーションをとるのは、どこかで無理が生じてくると思うのだ。
そこでみんなに問いを持ってほしい。
「なぜ、意図を持っているのか?」と。
なんでみんな意図を持つのだろうか?
なんでこうなってほしいと思うのだろうか。
それはなにかしらの「願い」があるからだと思う。
「相手にこうなってほしい」と、願いがあるから。
だから、意図が生まれるんだと思う。
そしてその「願い」の先に実は「願い」があるのだと思う。
「この人がこんなことをしてくれたら、こうなるのに」
という、
「こうなるのに」という「本当の願い」に「僕は」自覚的であってほしいと願う。
そして、そこが「自分の目指したいところなのだ!」ということを確かめてほしい。
▼あなたの役割だからこそ生まれる「気持ち」から「願い」を探る。
また、「あなたの役割だからこそ感じている気持ち」に自覚的であってほしい。
あなたよりも身分が上である人や直属の上司、または自分自身の部下や同期。
その人たちに感じていることに、自覚的であることからも、願いが生まれる。
そしてそこから、
「自分の立場にとらわれない人への接し方」が見えてくるのではないか?
▼願いと気持ちを相手に少しずつ晒していく
そんな風に「本当の願い」や「気持ち」に自覚的になれたら、
あとはぜひ、「晒してみてほしい」と思う。
ゆっくり一つ一つ気持ちを。
目指したい「本当の願い」、そしていま「あなたの役割だからこそ感じている気持ち」
それを少しずつ「晒す」ことから始まる。と私は思う。
そして「晒す」ことで、相手も役割を超えた自分を自然と「晒すかもしれない」
しれない。そういう感覚で過ごしてほしい。
▼だんだん信頼される。晒してくる。
その先はどうなるかわからない。
でも、信頼してくれたり、個別に連絡してくれることが多い。
▼晒したいし晒してほしい
人は晒したいし晒してほしいものだと思う。
だからそれを信じて晒す。
このごろ自分はそんな感じな気がする。
そしてそれでかなりハッピーでもある。
意図を持つこと。それは愛だ。
でもその愛が変な形で伝わってしまっていると思う。
だからこそ、意図に自覚的になって晒す。