keitakahashiの日記

日々感じた学びをつらつらと。

「成果のための成果」「役職のための役職」「お金のためのお金」

成果のための成果

役職のための役職

お金のためのお金

 

こんなことで世の中は溢れているように思う。

そしてこれらを奪い合うために不必要な競争や対立、自分のことを守るロジックがはびこっている。

 

なんでなんだろう?

 

そんなときに僕自身への問いとなる。

 

成果のための成果

役職のための役職

お金のためのお金

 

本当はその先にある願いが、

僕の求めてるものだったんだ。

 

成果のための成果

役職のための役職

お金のためのお金

 

自分が守っちゃったとき、

「守っちゃった」って相手に伝えたいな。

 

成果のための成果

役職のための役職

お金のためのお金

 

ここにいつも問いを持っていたい。

そして対立を生んでいるとき、

調和が生まれる場を僕は創っていきたい。

 

 

みんな望んでいないんだよ、

そこにしがみつくのを。

その先にある目に見えないものを、

あなたも僕も求めてたんだね。

 

そうやって分かり合えるようにしたいんだよな。

 

意図したコミュニケーションと本当の願いって?

3年間かけてキャリア学習やそれにまつわる研修などなど、

何個も作ってきました。

 

その経験から思うことがふと浮かんできたので、

今日はちょっと出したいなと。

 

それは、

『意図したコミュニケーションから始めることは

慎重になる必要があるのではないか。」

と・・・・

 

キャリア学習や研修、部下との面談や対話などなど、1対複数や1対1でのコミュニケーションを通して、様々なコンテンツを作り、頭をめっちゃ使って、

意図を持ってやってきた結果こんなことが問いとして生まれたわけです。

 

なにかをinputする研修というよりも、

自分なりに問いに対して答えを見つけていくだったり、

自己内省や自己分析をしていくためのコミュニケーションにおいての話として理解してください。

そして特に、上司と部下といった「上下関係」に言えることだと思います。

 

文章書きつつ落とし所がまだふわっとしていますが、

一旦出します。

 

コメントがほしいですね。

 

▼意図が伝わり脅迫になる?

意図を持つこと。

それは、なにか相手に自分自身の求めが生まれている

「こういう風に考えてほしい。」「こういう風にしていってほしい。」という思いから

相手には意図が伝わらないように努力しながら、

意図を持ってコミュニケーションを進めてしまう。

しかし残念ながら、相手にその意図が伝わってしまうことが多い。

その意図は、現代の「周りの期待に答えること」が正義とされる世の中において、

「意図に従わなければいけない」という脅迫観念に近いものをどうしても生んでしまう。

 

そして相手は、自分の気持ちに反してどこか納得できないまま、

納得している気がして、無自覚に自分の感情を曲げて演じてしまう

 

本当は脅迫なんてしたくはない。

だが、多くの意図を持ってしまった人は、

「相手の意志で最後は決めてほしい」と思っていると思う。

だから本当は、意図せず起こってしまった強迫観念を起こしたくはない

そう思っていることが多い。

 

 

 

ではどうしたらいいのか・・・・

 

 

 

うまくいく方法は、今の自分には正直言い切れない。

 

だが、これは大事なのではないか?ということはある。

 

▼「意図=願い」を自覚する。

「意図を持ちたい!持っている!という気持ちと思考は否定すべきことではない」

と思う。

だが「自分が求める相手になるように」と、

意図を持ってコミュニケーションをとるのは、どこかで無理が生じてくると思うのだ。

 

そこでみんなに問いを持ってほしい。

「なぜ、意図を持っているのか?」と。

 

なんでみんな意図を持つのだろうか?

 なんでこうなってほしいと思うのだろうか。

 

それはなにかしらの「願い」があるからだと思う。

 

 

「相手にこうなってほしい」と、願いがあるから。

だから、意図が生まれるんだと思う。

 

そしてその「願い」の先に実は「願い」があるのだと思う。

 

「この人がこんなことをしてくれたら、こうなるのに」

 

という、

「こうなるのに」という「本当の願い」に「僕は」自覚的であってほしいと願う。

そして、そこが「自分の目指したいところなのだ!」ということを確かめてほしい。

 

▼あなたの役割だからこそ生まれる「気持ち」から「願い」を探る。

 

また、「あなたの役割だからこそ感じている気持ち」に自覚的であってほしい。

あなたよりも身分が上である人や直属の上司、または自分自身の部下や同期。

その人たちに感じていることに、自覚的であることからも、願いが生まれる。

 

そしてそこから、

「自分の立場にとらわれない人への接し方」が見えてくるのではないか?

 

▼願いと気持ちを相手に少しずつ晒していく

そんな風に「本当の願い」や「気持ち」に自覚的になれたら、

あとはぜひ、「晒してみてほしい」と思う。

 

 

ゆっくり一つ一つ気持ちを。

 

目指したい「本当の願い」、そしていま「あなたの役割だからこそ感じている気持ち」

それを少しずつ「晒す」ことから始まる。と私は思う。

そして「晒す」ことで、相手も役割を超えた自分を自然と「晒すかもしれない」

 

しれない。そういう感覚で過ごしてほしい。

 

 

▼だんだん信頼される。晒してくる。

その先はどうなるかわからない。

 

でも、信頼してくれたり、個別に連絡してくれることが多い。

 

▼晒したいし晒してほしい

人は晒したいし晒してほしいものだと思う。

 

だからそれを信じて晒す。

このごろ自分はそんな感じな気がする。

そしてそれでかなりハッピーでもある。

 

意図を持つこと。それは愛だ。

 

でもその愛が変な形で伝わってしまっていると思う。

 

だからこそ、意図に自覚的になって晒す。

  

 

 

 

お店で気づけば商品ではなくて人を見てしまうって話

このごろお店に行くと気づけば人を見ちゃう。

 

商品よりも、

この場で働いてる人がどんな気持ちで働いてるかがなんか気になっちゃう。

 

昔東京駅近くの居酒屋の従業員が、

とってもキラキラしてて、

その理由は店長がすげーいい人だったからみたいなFacebook投稿もしたけども、、

→これです。 

https://www.facebook.com/100000049949343/posts/1812438655434448/

 

まぁそんなこんなで、今日もそんなことがあって。

 

某所の無印さん。

店員さんがとてもいきいきしてた。

そして店長らしきバインダー持ってる人も、

いきいきしてた。

 

なんだろうか、あの自然体な感じは。

無理してない感じ。

 

だから僕もなんか、

「.ありがとうございますー!」と、

お茶一本買って気持ちよく出てきました。

 

 

自然体で働ける。

そんな感覚を持てるといいよねー、

 

「仕事で自然体とかw」

と思う人もいると思う。

もちろん役割を演じざるおえないときもある。

 

そのときに見失っちゃいけないのは、

演じるけれども、人間であり、

その人間的な心があるというところを周りが大切にできること。

 

上下とつけずに人としての関係性から始められること。

 

この前提は忘れたくないね。

 

 

物を売ろうとすればするほど売れない話

あるNPOの新規事業で営業をやってたとき、

大手人材系の元マネージャー(Sさんとする)に言われた話。

 

Sさん「けいくんはこのコンテンツ、相手にとにかく売ろうとしてない?それじゃあこの事業は売れないよ」

 

おれ「(え、どーしたらいいんだ、、)・・・」

 

Sさん「とにかく売れるようにPushしていく。よさを伝えていく。それはそれで売れる時もあるよ。でもあなたの売ろうとしてるものはPushじゃ、なかなか売れないんだよ。

相手の話聞いてる?だって本当に共感をしてもらえないと、自分たちが目指してる社会にはならないでしょ?」

 

おれ「あ、たしかに、そうですね、、そのためにやってますし、そこのVisionが握れれば、話が進む気がします。」

 

Sさん「そうそう。いかに相手の共感を引き出すか。本当はPull型で待って、問い合わせたところから、なぜ問い合わせたのかのニーズを掴んで話せるといいね。ちなみにだけど、こういうのっていつも高校生としてるんじゃないの?」

 

おれ「やってます、、」

 

Sさん「高校生と違って歳上の人への電話だし、難しいと思うけど、歳下でも歳上でも一人の人だよ。変わらない。けいくんらしくやれるといいね。」

 

おれ「そうですね、、」

 

Sさん「売るよりも大事なのは、相手の話を聴きながら、その人たちに貢献できることを出来ないか、自分たちの引き出しから出していく。初めからはうまくいかないけど、積み重ねて、チャレンジし続けよう。動いてればだんだんできるようになるから」

 

そのあと無事に3桁を大幅に上回る学校様にお電話させていただいたり、また直接会ったりしながら興味を持っていただき、目標数値にまで届く仕事ができた。

最終的な受注に至ったものもあった。

 

初めは敬語も緊張してうまく話せず、

先方に怒られることもあったが、

最後ははじめての電話でも、日々の生徒さんの活動や先生がどのような取り組みをされているのか等ヒアリングできるようにまでなった。

 

そしてそれは大切なものをできるかできないかじゃなくて、やるかやらないかで突っ走ってやってきた結果でもあった。

 

 

「共感」っていうことは常に大事にし続けたいな。

相手の求めてることこちらの提供したいもの。そこをマッチさせること。

 

売ろうとするんじゃない、お互いにわかりあうんだよなー。

 

「共に感じる」その場を創れるように日々精進。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい環境にいくと・・・

新しい環境に一歩踏み出す。

その一歩のエネルギーよりも、その環境で一歩踏み出すエネルギーの方がとてもかかる。

 

決断することは知っている世界の中で決断するもの。

だから、行った先の一歩目は何もわからないから始まる別世界に入った瞬間、

まったく別の自分自分になった感覚になったりする。

 

苦手なものや経験がないもので、

自分にできるかなーと目先のことで不安になる。

努力すれば、少し踏ん張ればできると思うのに、とにかく不安になる。

 

でもその先に見えるものを信じてるから、

見たいものだから。

そうやって奮い立たせ、

また「できる自分を見せなきゃ」と、

自分に課して苦しめてる自分にも自覚的になる。

 

そうやって日々感じることを、

言葉に進みたいと思う。

 

歯を食いしばりつつも、

その食いしばりの中でも口を開きストレッチする。

 

それが過ぎれば、

のびのびとのめり込めるライフワークになる。

 

それはもう何度も経験してるからこそ、

わかることだ。

 

高橋奎として、そして一人の人としてどんな人にも愚直に接するという決意のもと進むのだよな。

 

頑張るぞよ。

 

ちょっとエモい、今夜。

 

 

新しい環境。

それは怖さもあるけれど、

そこで自分を見失わないことから、

新たな成長ポイントを見つけ、

羽ばたいていける。

そんな可能性もあると思う。

 

いろんなところに顔だして、

いろんな人とつながっていてほしいなー。

 

 

 

【伝え方】頭じゃなくて心。それでも論理的思考が役立つ話 Part1.

周りの人によく言われること

「課題を見つけるの得意だよね!」

「課題に対する打ち手もすぐ出てくるよね!」

ってなんだかよく言われる。

 

論理の飛躍もよくあるけど、

論理的思考は割と得意らしい。

 

論理的思考。それは重要な武器だけど、だからこそ

「大切なことを忘れるとむしろ難しい壁にぶち当たりやすいかも」ってことを、

ここには残しておきたい。

 

▼小さい頃から考えることをしていた

昔からロジカルシンキング的なのは割と得意だったというよりも、

常に物事を考えてた。

 

そう考える癖があるだけだった。

 

小さい頃から

アニメよりもニュースの方が好きだった。

毎日朝はニュース番組を見て家を出て、

気づけばTVタックルなどの政治系の番組を見ていたり、

夜のワイドショーの話題を家族であーでもないこーでもないと話し、

日曜日の朝のアニメ時でさえ、ワンピースではなく我が家では、

サンデーモーニングが流れてた。

(マンガ、アニメはには人生を豊かにするとここ最近思うので、別にオススメしないが、)

 

そんなことなどもあり

(語りつくせないくらい要因はあるのだが、それはメインテーマではないので省略する)

 

「もっとこうしたらよくなるのに」

 

そうやって小さい頃からよく思ってたし、

だから気づいたことはとにかく誰にでも言ってた

 

それで気分悪くなる人にはだいたい嫌われる

そして、積極的な姿勢を求めてる人には好かれる。

 

だから面白いことに、

管理職の先生にはそんなに好かれないけど、

管理職じゃない先生には褒められることが多かった。

(特にってだけで、管理職の人には好かれないわけではない)

 

「めんどくさくしたくない」みたいな人には好かれない。

 

そりゃそうである、

いまのままでも

なんとなくやり過ごせそうでも、

「もっと面白くしたい!」と

案を提案してくるのは面倒だろう。

 

▼自分なりに納得したかった。自分の価値を出したかった。

 

疑問になるのは、なんでそんな課題とか打ち手とか見つけるの?という話だと思う。

なんでそんな課題とか打ち手とか見つけるようになったのだろうか。

 

答えはたぶんこれだ。

 

「自分が納得したかった。自分の価値を出したかった。

そして自分なりに答えを持っていることをわかってほしいし、

それによって認めてほしかったのだ」

 

そう、ある意味エゴでしかない。

でも、そのエゴは、多くの場合において、人のためにもなってた。

だから受け入れてくれる人の方が多かったし、

そのエゴに「見えるか見えないか」のバランス感覚は自然と持っていたのだろう。

 

ちなみにこんなタイプなので、

授業中わからないときに当たることが、なによりも苦痛だったりした。

 

▼「言い方が気にくわない」

 

そんな僕はいつもだいたい同じようなにぶち当たる。

 コミュニティに所属すれば、

一部の人から嫌われなくても、

多少なりとも反感を買う。

その逆に味方も一定するいるのだけど。。

大抵、非難として言われるのは同じことである。

 

 

「言い方が気にくわない」

 

 

そのとき私はいつも思うのだ。

 

 

「言い方が気にくわないってなんだ、、

 理論的にはたしかにけいの意見が正しいけど、

なんかむかつくってなにそれ・・・」

 

こんな感じだ。

 

でもこれは人生においてかなり大切な問いだったことにあとあと気づくことになる。

 

▼「言い方が気にくわない」のあとに待つ、「何も言えなくなる」という事案

 

そしてそう言われた先に、

「何も言えなくなる」という時間が一定ある。

 

これは中学時代も、高校時代も、

大学初期もそして未だに自覚しなければ訪れる。

まだまだ自分が未熟だと、その時間がすぎると思う。

ちなみに今は、

「言い方が気にくわない」という言葉を言われたわけではないが、

周りをどう巻き込んだらいいかわからなくなり、

自分の意見を発信し、引っ張れなくなったことで、

自分自身の意見を出しづらくなったことを自覚している期間だったりする。

ある意味構造は同じだ。

 

なぜそうなるか?なぜ言えないのか?

それは、自分自身の価値がわからなくなるからだ。

 

人に信じてもらえないこと、言ったことを受け入れてもらえないこと。

それはとても苦しいことだ。

 

そして思う。

「どうしたら言い方が気に食わなくなるのか?」と。

「どうしたら周りを巻き込んでいけるのか?」と。

 

▼チームが創れない。

「言い方が気にくわない」

この言葉にさまざまなことが凝縮されていることにいつも気づく。

 

最近私のことを知った人にとっては、意外に思われる人もいるかもしれないが、

極端にチームを作るのが苦手だった。

 

でも自分の頭の中ではいつも、「こうしたらうまくいく」という理想像がある。

理屈上自分の頭の中で、

「これが課題だから、こうみんなが動いてくれればうまくいくのになー」という課題と、それに対するアイデアが浮かぶのだ。

 

そう、論理的にはうまくいく。

 

だが、その通りにみんなが動くことは、いくら「指示しても」ない。

だからいつも

チームという他者と一緒になにかに取り組んでいくことが苦手だった。

 

「いつもなんでみんなやってくれないの!」

 

そんな気持ちでいっぱいだった。

 

だからいつも失敗をしていた。

 

たぶんチームメイトや周りの人は思っていたのだろう。

 

「言い方が気にくわない」と。。

 

いくら、

「こうしたらうまくいく」を伝えても・・・・

 

人は動かない・・・・

 

 

ーーーーーー

 

今日はここらで、終わり。

 

なんで人は動くのか。

 

そして周りの人は動くのか?

 

答えは無数に存在するはずだ。

 

だけど、自分なりの「リーダーシップ」はある程度決まっている気もする。

 

続きはまた。

ちょっとちゃんと書きたいと思ったので、

もう少し先まで寝かせようかな・・・

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追記

書いてて思ったが、「キングダム」を読むのをおすすめしたくなった。

本日7/19 キングダム51巻発売。

読んでしまい寂しい気持ちでいっぱいです。

 

世の中曖昧なことばかりなのだ。「絶対」が写す心とは

人は安心したいから、白黒つけたがる。

 

そして自分のことを守りたがる。

 

でも、立ち止まればわかる、

世の中曖昧でグレーなことばかりだと。

 

だから、「絶対」なんてない。

(「絶対」に「絶対」なんてないなんて言わない笑笑)

 

 

インターン当初よく上司に言われたなー。

 

『絶対ってよくけいは言うけど、

絶対って言った瞬間に相手の中に、

「本当かよ?」って思考が生まれるよ』

 

それから「絶対」って言葉は使わないようになった。

 

でも、「絶対」が出てくる時がある。

それは余裕のない時。自信がない時。

 

言葉は意外と素直だったりする。

 

 

あなたは「絶対」って言って苦しんでいませんか?